四学期と思考の整理学

通信大学

ついに一年生最後の学期が終了しました。
結果は下記の通り。

なんとなんと奥さん、全部Sいただけました。
これはかなり嬉しい……。

四学期は今までの学習態度を見直し
覚醒した三ヵ月でした。
ずいぶん本も読んだしね。
この調子で二年生も頑張ります。

二年生ではいよいよ専門科目が始まりますね。
そう、今まで学習していた科目は教養科目だったのです。
だからちょっと手加減されていたのかも?
(もちろん容赦ない科目もありました)

私は総合人間コースなので
これから人間について専門的に学び
立派な総合人間になれるよう一生懸命勉強します。
……なんて、冗談はさておき。
それにしても苦しい四学期でした。

勉強が苦しい。
知れば知るほど知らないことが増えていく。
そしてそれを知らないのは自分だけ。
他の人はとっくの昔に知っていることを
自分は「ふぇ~」とか「ふぉ~」とか
間抜けな顔で知った気になって
本当は全然何もわかってない。
悲しいアラフォーおばさんの姿がそこにありました。

追い打ちをかけたのが
外山滋比古の「思考の整理学」です。
話題になっていたので読んでみましたが
しょっぱなから
『子育てが一段落した中年の女性が勉強したくなったと言って大学へやってくる。
こういう人は先生から知識を教わり本を読むことを勉強だと思っている。
これは受動的なグライダー(自分で飛び上がることは出来ない)型人間というべきで
本当は自分の頭で考えることのできる能動的な飛行機型人間を目指さなければならない』(意訳)
というようなことが書いてありリアルに泣いちゃった。
わしのことやん。

もうね、ナイフで胸を一突きですよ。
違うんですよ……外山センセイ、聞いて下さい。
俺飛びたいんすよ。
ただの滑空だろうがなんだろうが、
空を飛べるのが楽しいんですよ。
だって空を知らずに生きてきたから。
先生が知識を与えてくれるのがうれしいんです。
先生は自分たちを平等に扱ってくれます。
容赦ない、手加減しない講義をする先生はやさしい先生です。
なんだか先生の身体を分け与えてもらっているような気持ちがするんです。
大学の勉強はそういう強烈な体験です。
この体験がなければ学問のその奥へは進めない気がするのです。
だから私にとって勉強は「先生から教わって本を読む」ことです。
少なくとも基礎が固まるまではそれでいいような気がしますね。

それにしても自分の頭で考えるってなんでしょう。
イシグロイドで有名な石黒浩先生は
「考えるって一体何なのか実はまだ分かっていない」
というようなことを言っていました。
例えばペッパー君が突然、
「僕は自我が芽生えました。今自分の頭で考えています」
と言い出したとしても
それが本当なのか確かめる術はない
よって否定することも出来ないのだとか。
これは「考える」ということがどういうことか分かっていないからですね。

考えるって? 人間って? 社会って? 社会の中の福祉って?

いろいろな「問い」が浮かび上がりますね。
一年前の、入学する前の自分では思いもしなかったことです。
二年生では問いの答えが出るでしょうか、
もっと問いが増えるでしょうか。

四月からまた新学期が始まります。
それまでにさらに増えてしまった「つんどく」を崩せますように……。
(↑このつんどくという言葉を作ったのも外山滋比古?)

あ、「プロ倫」は読み終わりました!
例によって講義資料を参照しつつですが。
(それにしても原書を読んでみると先生の講義のすごさが分かる)
文庫本の最後の訳者解説も感動的でした。
本編は注釈が多くて正直読み飛ばしたところ多数で……
これではいけませんね。
またいつか2週目にチャレンジします。